三日月と獅子、そして太陽

主に、訪問した展覧会について、感想を書くブログです。

記録という行為を突き詰めて

自在空間ArtStepで頂いたDMの写真に惹かれ、永田收さんの写真展を訪問してみました。

 

 

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永田收 写真展
「時と旅と」
2021.9.9(木)-9.24(火)
12:00-18:00 ※最終日17:00まで
自在空間ArtStep

https://artstepikuta.stars.ne.jp/index.html

 

街とそこに暮らす普通の人々の記録写真。で、あるにも関わらず、そこに写っている人々の一人一人が、その場所が、とても強く印象に残る、不思議な感覚の写真です。

 

写真の役割は3つ。それは、記録、芸術、商業、の3つだと思います。永田さんの今回の作品は、もちろん「記録」が強く刻まれています。その時間、その場所に自分が居たはずは無いのに、永田さんの目を通した「記録」に、何故か懐かしいという感覚を覚えるのです(特にモトコー入り口の写真など)。たまたま写真を鑑賞されていた年配の女性も、「この場所に、この時に居たはずがないのに、立ち会っていた家族の話を聞いていると、まるで自分もその場所に居た様に思えてくる」と仰られていたのが印象的でした。

 

一見、スナップ・ショットの様に見えますが、恐らく全く違う方向性の写真ではないかと。スナップ・ショットは、スポーツ感覚で、格好良さや面白さを切り取っていくわけですが、永田さんは、被写体にきちんとカメラを向けて、関係を築いて撮っている感じがするのです。

 

どんなに優れた写真家も、街の全てを収めることは出来ません。人と風景をどの様に記録すれば、失われ、変わっていく街を記録できるのか。見る人の記憶を鮮やかに呼び覚ませる記録を残せるのか。むやみやたらと切り取るのではなく、奇をてらうでもなく、「記録」というものを、とことんまで追求している、それが永田のでは無いかと感じました。

 

初めての出会いでしたが、写真を一点一点説明して下さる、優しさを湛えた目が、非常に印象に残っています。「身体は死んでる様なもの」と笑いながら仰られていましたが、帰り際に「お互いに頑張って(写真を撮って)いきましょう」と言いながら私を見る目には、鋭い眼光が宿っていて、少したじろぐと同時に、強く励まされた気がしたのです。

 

最後に…永田收さんの、写真に対する姿勢や思いが詰まったインタビューにあった、「いい写真って、評価とは関係なく、撮りたい人しか撮り続けられない」という言葉は、胸に深く突き刺さりました。最近の自分を省みて、強く反省…全文はこちらでどうぞ。

 

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