三日月と獅子、そして太陽

主に、訪問した展覧会について、感想を書くブログです。

宮廷道化師

ギャラリーでDMを頂いた際、とても気になる作品だったので、作品を体感するために出かけました。

 

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坂井存 個展『逆流性美術症候群』
開催期間:2021年10月9日(土)~10月24日(日)
※火・水休廊
開場時間:13:00~19:00  
会  場:Space31

 

色も形も無く、拡散し、秩序の無い乱雑な状態へ向かおうとする空気。それを内側に留め、目に見える形を作る坂井存氏の作品。それはエントロピーが最大の状態、最も拡散し、エネルギーが消滅した状態(死と呼ぶものでしょうか?)に向うことに抗おうとする、人々の心が形になったものなのかも…と思えました。空気を内部に閉じ込めて膨らみ、変形するゴムの作品。それは少し艶かしく、物神性を感じました。

 

展示最終日に「重い荷物」を背負うことができました。ゴムの塊なので「重い」ことは理解しているのに、何故か「軽さ」を期待している(空気が詰まっているから?)自分がいて、でも背負うとやっぱり重くて。なかなか感情が揺さぶられます。また他の人が背負っているのを見ていると、その様子から面白みと哀しみを同時に感じ取ることができ…。「ああ、人生の重い荷物って、こういうことなんだなぁ、と」

 

坂井存氏の今回の作品を鑑賞して、考えたことがあります。

 

表現(芸術)に携わる人々が、原子力をテーマに取り上げるとき。大半の人々が原子力を「悪」と位置づけ、批判・糾弾の立場をとる様に思います。(肯定的に捉えている例としてパッと思いつくのは、手塚治虫氏の「鉄腕アトム」でしょうか?)

 

しかしある時期から、そういった作品や行動は、分裂した状態を意図的に作り出し、恐怖や不安を煽ることで、ある種の誘導や操作を行おうとする人々に、「都合の良い材料(作品)」を与えているだけではないか?と考える様になりました。

 

意図的な分裂状態を作り出すことで、人々を支配し、利益を生み出す。または、既得権益を守る。これはわりと昔から使われてきた方程式です。そしてまた、芸術がプロパガンダに利用されてきたことも、よく知られている事実です。自身の表現を通して、政治的・社会的な考えを表明する場合、そのような歴史を頭の片隅に置いてするべきではないか…と、私自身は考えているのです。


その様な目で、個展を再度見直してみました。確かに今回の坂井存氏の作品も、一部だけを切り取って鑑賞すると、原子力を批判・糾弾するような作品に見えなくもないです。しかし、この個展全体を俯瞰的に観ると、そこはユーモアが溢れており、それ以上の深い意図や感情が込められている様に感じました。

 

「重い荷物」を背負った坂井存氏。その少しユーモラスな姿は、社会の無秩序や不条理に対し、力で闘うのではなく、作品に触れた人々に深い洞察と助言を与える、まるで「宮廷道化師」の様な存在に思えました。

 

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