数式生命体
アビョーン・PLUS ONEのママさんでもある、西村房子さんの個展へ行ってきました。私のことを大学くらいから知ってる人ならば、「ああ、好きだろうねぇ…」と思うであろう作品達です。
『西村房子作品展』
開催期間:2021年11月11日(木)~11月16日(火)
開場時間:11:00~18:00(最終日17:00まで)
会 場:南京町ギャラリー蝶屋
房子さんの作品を初めて見たのは、ギャラリー5で開催された「鬼瓦熊子一座 禁断の朗読会」だったと思う。荒木菫さんの舞踏とアルミで制作されたオブジェが、良い感じに怪しい空間を作りあげて、今でも強烈に印象に残っているのですよ。
アルミ線で構成された作品は、数学的な美しさと、細密な表現が私好みで、いつまでも見続けられる心地良さがあります。また展示する場所によって、全く違った形・表情を見せてくれるのが面白いんですよね。『数式生命体』とでも呼べば良いでしょうか?
これは…多分Wメリケン波止場で展示されていたときかな?
今回はアルミの作品に加えて、「どこか遠い処の海」をテーマにした作品も展示されていました。私が好きな太陽と月をテーマにした絵画もあって、気分はほくほくです。じっくり観すぎて、写真を撮るのを忘れていましたね。
あとギャラリーで、初めて榎忠さんと遭遇することが叶いました。ツーショット写真を撮ってもらうなど、大変ミーハーな行動をとってしまいました(笑)
ひかりの瓶
矢野衣美さんの作品を見ていたら、先日読んでいた「色即是空 空即是色」の話しを思い出しました。
『Kobe Bottle Art Exhibition』
開催期間:2021年11月2日(火)~11月7日(日)
開場時間:13:00~19:00(最終日16:00まで)
会 場:兵庫県立神戸生活創造センター(展示ギャラリー)
吉田さん主催の『Kobe Bottle Art Exhibition』、山村さんと矢野さんという、全く作風の違う作品が並んでいた今回の展示。それだけでも面白い。
矢野衣美さんの作品は、アップルサイダーから様々な要素を洗い流し、それでも最後に残ったもので構成されたかのような画面が印象的。
近づいて見ると、色々な色が共鳴しあい、混ざり合って迫ってくる。いまあたかも光の塊であるかのように見えます。しかし離れて見ると、そこにアップルサイダーそのものが出現するのです。この感覚が非常に面白くて、何度も近づいたり、遠ざかったりして、楽しんでいました。主催の吉田さんが「ひかりの瓶」と表現されていた理由がよくわかります。
その感覚を楽しんでいた時、「色即是空 空即是色」という話を思い出したのです。
「現世にあるあらゆる物事や現象には、すべて実体はなく、空無である。と同時に、その実体のないものが縁によって結びつき、私たちの目に見える存在になっている」
一般的に言われている「色即是空 空即是色」の解釈はこのような感じでしょうか。色と空の概念は、仏教の考え方を理解する上で非常に重要で、私自身も、その真の意味を理解しているとは言い難いのですが。しかし、もう少し自分なりにかみ砕いて解釈すると、
「色(物質)がバラバラに分解されると、それが何であったかは分からなくなる。しかしそれは消え去り、この世から無くなったわけではない。物質を構成する粒(分子、原子、素粒子など)の状態にまで分解されて、何者か分からなくなり、空を漂っているのだ。そうやって漂う粒達は、いつの日かまた、縁でつながれば、再び色(物質)として、(元に戻らなかったとしても)形を持つようになるのだ」
という感じになるでしょうか。まさに私が感じた、矢野さんの作品の印象、そのものではないかと。
アップルサイダーを残していくこと。それはアップルサイダーという物質そのものに執着するのではなく、「縁をつないでいくこと」が肝心なのではないかと感じました。神戸の清涼水関連の振興と、その後継者の発掘というお題に、アートが何ができるのか。その答えは、そこあるのではないかと感じました。『Kobe Bottle Art Project』という取り組み、その成果を見守って行けたらな…と思います。
記憶の水脈
古山コスミさんの個展を訪問。長田で開催されていた『下町芸術祭』の関連企画です。コスミさんの個展を観るのは、多分2回目だと思います。
古山コスミ展『記憶したたる』
開催期間:2021年10月9日(土)~10月24日(日)
開場時間:11:00~18:00(最終日17:00まで)
会 場:city galleru 2320
誤解を恐れずに言えば、強く心に引っ掛かる写真もあれば、さらっと流れていってしまう写真もあるのが、コスミさんの作品だと思う。無理矢理にでも心に入り込んで来る様な、「強い写真」ではないのです。しかしその「さらっと流した」写真も、記憶の深部には確実に残り、やがては記憶の本流へと繋がっていく、そんな印象があります。
今回のチラシに使用されていた写真も、何か引っ掛かるモノがあり、その何かを辿っていくと…神戸のギャラリー『自遊空間ArtStep』で拝見した写真に行き当たりました。あのときは、コスミさんの言葉を借りれば、したたる「今」が、知らず知らずのうちに、心に溶け込んでいった…そんな感じでしょうかねぇ?
今回の展示にあたって、『記憶、したたる』という詩を編まれたコスミさん。個展を観せて頂いてから大分時間が経った(11月22日)今になって読み返すと、写真の記憶と共に、その意味がより鮮明になる様な気がしました。
今回の訪問は、丁度「写真を作品として組み立てる」という点に悩んでいた時期と重なっていました。そのことについて、city gallery 2320 のオーナーである向井修一さんに相談したり、古山カスミさんにも相談したり…。非常に貴重なアドバイスが頂けたので、あとは自分が行動するだけですね。
宮廷道化師
ギャラリーでDMを頂いた際、とても気になる作品だったので、作品を体感するために出かけました。
坂井存 個展『逆流性美術症候群』
開催期間:2021年10月9日(土)~10月24日(日)
※火・水休廊
開場時間:13:00~19:00
会 場:Space31
色も形も無く、拡散し、秩序の無い乱雑な状態へ向かおうとする空気。それを内側に留め、目に見える形を作る坂井存氏の作品。それはエントロピーが最大の状態、最も拡散し、エネルギーが消滅した状態(死と呼ぶものでしょうか?)に向うことに抗おうとする、人々の心が形になったものなのかも…と思えました。空気を内部に閉じ込めて膨らみ、変形するゴムの作品。それは少し艶かしく、物神性を感じました。
展示最終日に「重い荷物」を背負うことができました。ゴムの塊なので「重い」ことは理解しているのに、何故か「軽さ」を期待している(空気が詰まっているから?)自分がいて、でも背負うとやっぱり重くて。なかなか感情が揺さぶられます。また他の人が背負っているのを見ていると、その様子から面白みと哀しみを同時に感じ取ることができ…。「ああ、人生の重い荷物って、こういうことなんだなぁ、と」
坂井存氏の今回の作品を鑑賞して、考えたことがあります。
表現(芸術)に携わる人々が、原子力をテーマに取り上げるとき。大半の人々が原子力を「悪」と位置づけ、批判・糾弾の立場をとる様に思います。(肯定的に捉えている例としてパッと思いつくのは、手塚治虫氏の「鉄腕アトム」でしょうか?)
しかしある時期から、そういった作品や行動は、分裂した状態を意図的に作り出し、恐怖や不安を煽ることで、ある種の誘導や操作を行おうとする人々に、「都合の良い材料(作品)」を与えているだけではないか?と考える様になりました。
意図的な分裂状態を作り出すことで、人々を支配し、利益を生み出す。または、既得権益を守る。これはわりと昔から使われてきた方程式です。そしてまた、芸術がプロパガンダに利用されてきたことも、よく知られている事実です。自身の表現を通して、政治的・社会的な考えを表明する場合、そのような歴史を頭の片隅に置いてするべきではないか…と、私自身は考えているのです。
その様な目で、個展を再度見直してみました。確かに今回の坂井存氏の作品も、一部だけを切り取って鑑賞すると、原子力を批判・糾弾するような作品に見えなくもないです。しかし、この個展全体を俯瞰的に観ると、そこはユーモアが溢れており、それ以上の深い意図や感情が込められている様に感じました。
「重い荷物」を背負った坂井存氏。その少しユーモラスな姿は、社会の無秩序や不条理に対し、力で闘うのではなく、作品に触れた人々に深い洞察と助言を与える、まるで「宮廷道化師」の様な存在に思えました。
式神が舞い降りて
以前は「パイ山」と呼ばれ、広く親しまれていた「さんきたアモーレ広場」。三宮駅周辺の再開発に合わせて、この都度リニューアルされました。オープニングイベントに引き続き、10月10日に行われたダンスパフォーマンス。国内外で活躍される新聞女さんが、神戸新聞の新聞紙を使って衣装を作成。ダンサーのアラン・シナンジャさん&春香さんが、その衣装を身にまとって踊る。音楽は、音楽家の恵風さんとMAX土居さんが即興で演奏。全てが打ち合わせ&リハ無しで開催されたそうで…
2021.10.10(日)14:00~
さんきたアモーレ広場
※神戸市まちなかアート補助対象事業
音楽にのって舞い踊る新聞紙、それはまるで式神紙人形の様でした。これはきっと、新しくなったアモーレ広場の厄祓い、あるいは設置されたオブジェに神を降ろす、という意味があったんじゃないのかな。きっと、このとき、この場所で開かれるべきイベントだったんでしょうね。不思議な雰囲気に包まれたイベントでした。
最初はどうなるのかと、ドキドキしていましたが、始まってみると、あの場所の雰囲気にぴったり合うイベントでした。やっぱりヤマモトヨシコさんは天才だなぁ。懐かしい顔にも出会えて、本当に参加して良かったです。
【出演】
新聞女(衣装)
アラン シナンジャ(舞踏)
松縄春香(舞踏)
恵風(音楽)
MAX土居(音楽)
ヤマモトヨシコ(企画)
【新聞提供】
神戸新聞社
【special thank】
中尾和生
青江三奈を感じながら
知り合いのメタルバンドのボーカリストから紹介を受け、今回初めてみる、吉岡里奈さんの個展に行ってきました。メタルバンドからの紹介っていうのが良いですね。
吉岡里奈個展
「大阪ニューロマン」
2021.9.18(土)-10.3(日)
※火・水曜日定休日
13:00-19:00
大阪シカク
「ロマン」それは感情的、理想的に物事をとらえること。また、夢や冒険などへの強い憧れをもつこと、だそうです。作者にとっての、夢の大阪を描いたという今回の個展。大阪への妄想・理想・現実が綯い交ぜとなった強烈な表現。強めの化粧品の匂い、煙草やアルコールの匂いをも上書きしてしまう大阪の「食」の力強さと、そこに携わる「大阪人」の強烈な個性が、ユーモラス描かれている様に見えました。関東から見ると、やっぱり大阪ってそういう風に映っているのかな…?
昭和のムードを好んで描いているという、吉岡さん。一瞬、昭和のお色気雑誌の表紙(苦笑)を思い起こさせます。でも、探してみると、こういうタッチのイラストは案外見つからなかったりするんですね。彼女なりに、いかがわしい昭和の風俗や文化(苦笑)をきちんと消化し、自分のモノにしていることが分かります。
コントラストが高く、鮮烈な印象のイラスト。そこに違和感を感じる人もあれば、昭和という時代の、正負が入り混じったエネルギーを見出す人もいるかな…と。昭和から昭和の香りが強く残っていた2005年頃までって、今ほど情報に溢れていなかったんですよね。だから、最初に見聞きした人の、強烈に印象に残った部分だけが誇張され、そして周囲に伝聞される。それが昭和という時代の情報伝達だったのかもしれません。それがイラストにも表れているような。
最後に、この個展を見た知人が、「青江三奈さんに似ている!」と言うのを聞いて、彼女が歌を聞いてみたのですが、「ああ、確かにこれは青江三奈さん!」と納得。きらびやかで強烈な色彩で描かれる一方で、でも、どこかしら陰を感じる吉岡さんのイラスト。今度は青江三奈さんの曲を聞きながら、見てみたいと思いました。
全ては大地へ還る
神戸市御影にあるギャラリー「Space31」を訪問。山村幸則氏と吉田延泰氏の二人展「Relation」を観覧しました。作品の素材は、白鶴酒造株式会社から提供された、使用済みの空き瓶。様々な色の空き瓶が、二人の作家によって、新たな生命が吹き込まれました。今回は山村幸則さんの作品を…
山村幸則 吉田延泰
「Relation」
2021.9.12(日)-9.26(日)
※火曜日と水曜日は休廊
13:00-19:00
Space31
山村さんの作品は、ファーストコンタクトで童心に帰り、その後深く考える、というような作品が多い気がします。「何だか面白い!」からの「面白い理由を考える」の流れですね。
今回は、床に玩具を並べ、蹴っ飛ばして散らかす、子供のような気分にまず包まれました。格好よく書けば「神になったかの様な全能感を感じた」というところでしょうか。
床に並べられた、不思議なカタチをした作品群。色々なモノを想像させるその形が、どの様にして生まれたのか。その制作方法を山村さんに聞いて、納得することが出来ました。個人的に、芸術家に作り方の詳細を聞くのは、反則行為だと思うのです。しかし、山村さんの場合、その場に有るものから想起し、作り方も含めて作品を生み出していきます。その作品の制作過程までもが、ひとつの「アート」といえるのです。ですから、逆に聞かなければ、作品の真意は伝わってきません。この辺は、山村さんとお話すると、実感できると思います。
「大地に吸収された水が、再び空へ昇ろうと地表に顔を出している。天に昇ろうともがく、様々な表情の水滴たち。やがて自分自身も立ち昇る水につつまれ、混じり合いながら、一緒に空に還り、最後は雲になる」
作品の中に立っていて、最後に湧き上がってイメージがこれでした。考えてみれば、作品の素材になっているガラス(瓶)も、そして中身の日本酒も、その主原料は、大地から得られる物質(恵み)です。
日本酒の原料といえば、言わずと知れたお米、そして水。それが菌の力を借り、糖化と発酵という過程を経て、産み出されたもの。もちろんその原料は大地からの恵み。
一方で、ガラス瓶を構成するガラスは、珪砂(けいしゃ)、ソーダ灰、石灰石、ドロマイト、芒硝(ぼうしょう)といった原料を混合し、高熱で溶解して作られます。これらの原材料も全て、大地から得られる物質。
ガラス自体はリサイクルされているとはいえ、元々は大きな循環の輪の一部だった物質を切り離し、それが人間の生活に欠かせない形となって、小さな輪の中で循環しているということがわかります。
作品制作過程を聞いていると、山村さんは、ガラスをリサイクルという形ではなく、再び大地に還し、日本酒と同じ様に、大きな「循環の輪」へ戻すことを試みたのではないか、と感じました。そんな気持ちのまま、床に並ぶ作品を見ていると、大地に浸透した水が、再び空へ昇ろうとしている水滴のイメージが浮かんできたのです。空に昇り、雲となって空を流され、また大地へ還る。
人間もまた、循環の輪という、でっかいものの一つに過ぎないのだなと。